本日休館

 

 人通りの多い夕刻、五右ェ門は足早に通りを駆けていった。

 珍しくあせった表情で。

 目的の建物の前にたたずむと「本日休館」の札をみて、ああー、と落胆した声を思わず漏らしてしまう。

 手に持った風呂敷包みをぎゅっと抱えると、唇を噛んだ。

 その時、ガラス戸の前に置いてあった

「手話朗読 13:00~15:00、コミュニケーションスペースにて」

という立看板がガラガラと重たそうな音を立てた。

「……あ……」

 その看板を片付けようとしていた人物が、五右ェ門を見て声をもらす。

「石川さん、どうしました?」

 五右ェ門ははっと顔を上げる。

 彼の常宿近くのこの図書館の、馴染みの司書の女だった。

「あ、いや、借りていた本の返却が今日までだったのだが……ぎりぎり閉館に間に合わず、申し訳ない……」

 五右ェ門はきまり悪そうに言う。

「ああ、そうだったんですか。いいですよ、今日は私が遅番ですから、手続きします。ごめんなさいね、ここ返却ボックスが設置していなくて」

 女はにこっと笑った。

「……かたじけない」

 言って、五右ェ門は彼女が重そうに抱えている立看板をすっと持ち上げた。

「あ……」

 女はまた小さな声を上げて、驚いた顔で五右ェ門を見た。

 五右ェ門は女の方を見ることもせず、それを図書館の中に運ぶ。

「すいません、石川さん」

 女はあわてて後を追ってきた。

 実は彼はこの女が苦手だ。

 女とのやりとりなど、さっさと済ませたい彼なのに、彼女はいつも彼をまっすぐ見てひとつひとつゆっくりと話す。そして、彼が帯刀のまま入館するのを許さないのだ。

 そんな彼女に、風呂敷包みから出した本を手渡す。

 彼女はカウンターに入って、本の貸し出し期限などを確認してバーコードを読み取った。

「はい、確かに受け取りました」

 にこりと笑う。

 小柄で華奢でいつも姿勢の良い、美しい女だった。

彼女にじっとまっすぐ見られるのが、本当に五右ェ門は苦手だ。

 今日もつい、すっと目をそらしてしまう。

「では、俺はこれで……」

 風呂敷を懐にしまって帰ろうとすると、女がふと彼を呼び止めた。

「石川さん」

 どきりとして、彼は振り返る。

「私はもう少し、本の整理をしてからここを閉館させますけれど、よろしければ本を見て行かれたらどうですか?貸し出し希望があれば手続きいたしますよ。看板を運んでいただいた、お礼です」

 女はカートに重そうな本をのせながら、さらりと言った。

 五右ェ門は足を止めて、はたと館内を振り返る。

「……よろしい、ですかな」

 女は彼を見て、微笑みながら頷いた。

 五右ェ門はカウンターに進み出て、もじもじしながら腰の刀を触る。女は、はっと気づいたように彼のそぶりをみて、また笑った。

「いいですよ、刀はそのままで。今日は特別です。もう閉館して、石川さんしかいませんしね」

「……かたじけない」

 五右ェ門ははずかしそうに言って、書庫に進んでいった。

 正直なところ、本を借りて帰れると嬉しい。

 日本での滞在は勿論好きなのだが、この蒸し暑い季節には彼とて参る。寝苦しい夜に本もないというのは、とてもつらいのだ。

 いつもは館内に入るときは、カウンターで彼女に刀を取り上げられる。

 そうすると、なんとも落ち着かない気分になるものだった。

 しかし、今回は落ち着いた気分でゆっくり本を選ぶことができる。

 思いがけない幸運に心を躍らせながら、彼は気に入りのコーナーに入っていった。

 ふと。

 人の気配を感じる。

 それは、閉館後の図書館で感じるような種類のものではなかった。

 手に取っていた本を丁寧に本棚に戻し、刀にそっと手をかける。

 そして、迷いもなく、抜いた。

 本棚の奥から、まさに彼に向けてバーンという轟音とともに銃が発砲された。

 五右ェ門は斬鉄剣を三振りする。

 銃弾をよけるなら、いつもだったら一振りで十分だ。

 しかし、ここは図書館。

 銃弾の欠片たりとも、本を傷つける事はならない。

 本を傷つけてはならないこと。

 それが、あの司書の女がいつも言っている事だ。

 五右ェ門の刀は銃弾を粉々にして、それは床に散っていった。

 キッと五右ェ門は銃弾を放った方を見る。

「……図書館で火器とは無粋だな」

 男は改めて銃を構え、五右ェ門を見る。

 つい数週間前まで、中近東であいまみえていた男たちの一人だった。

「タペストリーについては、お前が知っているはずだ。俺一人でも、お前からそれを吐かせて、秘密を暴くのさ」

 ニッと笑って、男は再び引き金を引いた。先ほどと同じように五右ェ門は銃弾を弾く。

「……ばかな。タペストリーに関しては、俺はルパンにも協力する気はない。お前ごときに話すわけがないだろう」

 ルパンたちと、男の一味は、あるタペストリーを競って追っていた。そのタペストリーにはその地方の王族の財宝のありかが隠されているという。

 だが、その肝心のタペストリーは日本にあるという事が判明した。

 そう聞いて、五右ェ門はすぐに心当たるものがあった。

 それは祇園祭の山鉾だ。数ある山鉾に奉られているタペストリーにはそれぞれにいわれがあり、その中の一つに五右ェ門は当たりがついた。

 しかしそれは彼の胸のうちにだけ。

 日本中が楽しみにしている祇園祭の美しい山鉾の飾りを、それを奪う気持ちにはさらさらなれなかった。

 それでその件は終わったはずだったのに、まだ諦めていない奴がいたのか。

 またもや図書館に響く銃声。

五右ェ門はふと不安になった。ここに残っているもう一人の人間、司書の女。

何があっても、彼女は巻き込んではならない。第一、この銃声を聞いただけでもさぞ、驚いてしまっているだろう。なんとかしなくては。

 男が放つ銃弾を、粉々に打ち砕きながらなんとか近づいてゆく。

 男は五右ェ門にまったく銃弾が効かない事を改めて思い知らされ、そして彼が自分に近づこうとしている事に気づき、なんとか体を変えて五右ェ門を奥に追い詰めようと間合いを詰めてきた。

 本棚から本を取り出して、五右ェ門の足元に投げる。

 あっと五右ェ門は足をとられた。

 男は銃を構えながら、間合いを詰めてくる。

 五右ェ門は相手を、キッと睨んだ。本を、このように扱うとは本当にけしからん。

 刀を改めて構える。男も至近距離で、五右ェ門に銃を向けた。この距離で、今までどおり弾丸がはじけるだろうか。

 五右ェ門は自分の鼓動が少し早くなるのを感じた。

 その時。

 ちょうどまさに、男の頭上から大量の本が降ってくる。男は一瞬叫び声を上げるが、重厚な本の角で頭をやられ、すっかり埋もれてしまった。

 驚いて上を見ると、これまた驚いた顔の司書の女が本棚の向こうから顔を出していた。

「ごめんなさい、大丈夫ですか!?今、製本済みの雑誌を書庫に戻そうとしていたんですけど、そっちに落ちてしまいましたか?お怪我は!?」

 目を丸くして、身を乗り出していた。

「……いや、大丈夫だ」

 五右ェ門は落ち着いた声で言う。女が顔をひっこめると、五右ェ門は本の中から気を失った男を掘り出し、急いで窓の外に放り出した。

「重たいものばかりでしたから、少しでも当たったりしたら大変、本当に大丈夫でした?」

 あわてて脚立から降りてかけつけてきた女は、本当に心配そうに五右ェ門を見た。

「いや、ご心配なく。まったく無事です」

 五右ェ門はにこっと笑って女を見て、本を拾い集めた。

 書庫に戻すのを手伝って、カウンターに戻った五右ェ門に、女は声をかけた。

「どうもありがとうございました。それで石川さん、借りてゆかれる本は?」

「……ああ、これを」

 五右ェ門は本を三冊差し出した。

「……古典ミステリーがお好きなのね」

 女はバーコードでチェックしながら、つぶやいた。

「うむ……」

五右ェ門は照れくさそうに頷く。

「……石川さん」

 チェックが終わった女は手を差し伸べた。

 五右ェ門は不思議そうに首をかしげる。

「包んでいかれるでしょう?」

「ああ……」

 懐から出した風呂敷を渡すと、女は丁寧に包んで彼に手渡した。

「はい。返却日は守ってくださいね」

 彼女からそれを受け取った瞬間、バーンと爆発音がした。

五右ェ門はハッと身を硬くして、刀に手をやった。あの男、まだ性懲りもなく……?

 が、女はまったく驚く様子もない。

「もう、だいぶ大きいのが上がっているのね」

 言って、急いでカウンターの中を片付け始めた。

「ええ?」

 五右ェ門が素っ頓狂に言うと、女はバッグを手に持ってカウンターから出てきた。

「花火、ですよ。さっきから、ドンドンバンバン、鳴っていたじゃないですか。お気づきになりませんでした?」

「……ああ……」

 呆けたように言う五右ェ門を出入り口に促す。

「今日は近くの川原で花火が打ち上げられてるんです。ご存知ありませんでしたか?」

「あ、いや、そういえばここに来る道中、人が多かった……」

「結構、きれいですよ」

 女は館内を常夜灯だけにして、施錠した。

 すっかり暗くなっている外に出て、見事に打ち上げられている花火に五右ェ門はしばし見とれた。

 日本で花火を見るのは数年ぶりか。

 見たことのないような色や形のものも多く、一瞬心奪われた。

 その呆けたような様がおかしいのか、女はくすくす笑っている。

「そんな成りをなさっているのに、まるで初めて花火を見るみたい」

「……いや、そういえば久しぶりに見るので……。やはり日本の花火は美しいな……」

 大玉が打ち上げられるのをうっとりと見てから、ふと隣の女に目をやった。

 同じくうっとりと見上げている横顔が、明かりに照らされていた。

 本の番人の凛としていた表情が、今ではふうわりと、あどけない柔らかな顔になっている。

 彼女が花火に夢中になっているのを良い事に、思わずその繊細な横顔に見とれた。

 普段、なかなかじっくり見ることがかなわないので。

 本日休館。

 そうか、明日は休館日なのだ。

 彼女に今日の礼をしよう。

 何の礼なのか、彼女にはわからないだろうが、構わない。

 何と言って誘ったら良い?

 花火と彼女の横顔を交互に見ながら、五右ェ門は考えて、風呂敷包みをもどかしげに抱きしめる。

 ふうっと息をついた。 

 花火はもうしばらく続くだろう。その間に考えよう。

 またちらりと彼女を見ると、目が合った。

 どうしようか。

 そうだ、まず。

 まず、名前を尋ねよう。

 いつも「石川さん」と、涼やかな声で彼を呼ぶ、彼女の名前を。

 

 

 Fin